大宰府は九州の交通網の起点だった
防人が活躍していた古代日本の場合もそうです。
五畿七道(五畿とは大和〈奈良県〉・山城〈京都府〉・摂津・河内・和泉〈大阪府〉の五国。
七道とは東海・東山・北陸・山陽・山陰・南海・西海道の七地方)と呼ばれる支配体制が確立するのとともに、各地に交通網が発展していきました。
特に九州は白村江の敗戦で、軍事的に過敏といえるくらいに、その警固が重要視されていました。
また、朝廷に納める九州各国の貢租は一度大宰府に集められ、それから畿内に搬送されていました。
防人が活躍した7世紀から8世紀まで、大宰府が九州の交通網の起点であり終点であったのも、そうした理由によるものです。
それ以後、大宰府と九州各地の国府を結ぶ道が発達していき、さらに各地方の中心地である国府と周辺の集落とを結ぶ生活道が発達していったと考えられます。
