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2010年05月 アーカイブ

統治としての意味

これらのことから、天候など様々な条件が重なったとしても、筑前や筑後肥前や豊前など九州北部で30日前後要したことになります。

日向や大隅薩摩などは、40日前後は搬送に要したことになります。

これだけを見ても当時は九州北部の交通網が、南九州に比べていかに発達していたかがわかりますよね。

統治国家として道の役割はどうだったのでしょうか。

全国を統治する意味から、朝廷は各国に国府を置き、支配の目を光らせていました。

しかし、九州では南部の大隅や薩摩に国府を置いても、隼人などの朝廷に帰順しない部族がいたのです。

このため朝廷は軍を派遣、制圧して、九州統一を進めていったのです。

この軍のたどった道も、当然今まで述べてきた小路が利用されてきました。

道は中央と地方を結ぶ生活路の役割だけでなく、統治の意味からも重要なものであったのです。

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古代九州の道と現在の道

古代九州の道と現在の道との比較。

はたして古代の道がそのまま発展し、現在の道になったかという疑問は、誰もが持つものといえます。

前出の「延喜式」によれば、当時の大宰府と各国府を結ぶ道沿いに設けられた駅名(駅とは中央と地方を結ぶ連絡用に設けられたもので諸道に約30里《現在の約16キロ、但し地形・水・牧草の関係で位置は変化する》ごとに置かれた)が、当時の道の位置した場所を偲ばせています。

吉田東伍氏の現在と過去の地名の比較研究によれば、当時西路沿いの駅であった筑紫国葛野(現在の福岡県筑後市羽犬塚)、狩道(同山門郡竹海)、肥後国大水(熊本県玉名郡南関〉、江田(同江田〉は、いずれも現在の国道209号よりずっと内陸部にあることがわかっています。

つまり、当時の主要道の西路は、内陸や山間部を通っていたことになるのです。

この地域に限った話ですが、この西路の位置が、現在の九州自動車道の位置とピタリと重なっているのは、偶然の一致とはとても考えられないほどです。

このように、防人たちの古代の道は山間部や台地、川沿いに沿って発達しているのが特徴で、平野部の道が開発されていったのは、土木・治水技術が発達した後世のことなのです。

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