古代九州の道と現在の道
古代九州の道と現在の道との比較。
はたして古代の道がそのまま発展し、現在の道になったかという疑問は、誰もが持つものといえます。
前出の「延喜式」によれば、当時の大宰府と各国府を結ぶ道沿いに設けられた駅名(駅とは中央と地方を結ぶ連絡用に設けられたもので諸道に約30里《現在の約16キロ、但し地形・水・牧草の関係で位置は変化する》ごとに置かれた)が、当時の道の位置した場所を偲ばせています。
吉田東伍氏の現在と過去の地名の比較研究によれば、当時西路沿いの駅であった筑紫国葛野(現在の福岡県筑後市羽犬塚)、狩道(同山門郡竹海)、肥後国大水(熊本県玉名郡南関〉、江田(同江田〉は、いずれも現在の国道209号よりずっと内陸部にあることがわかっています。
つまり、当時の主要道の西路は、内陸や山間部を通っていたことになるのです。
この地域に限った話ですが、この西路の位置が、現在の九州自動車道の位置とピタリと重なっているのは、偶然の一致とはとても考えられないほどです。
このように、防人たちの古代の道は山間部や台地、川沿いに沿って発達しているのが特徴で、平野部の道が開発されていったのは、土木・治水技術が発達した後世のことなのです。