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2010年06月 アーカイブ

流人たちのたどった道

流刑といえば、江戸時代の「島流し」や「島送り」を思い出す人が多いですね。

殺人や強盗などの罪を犯した者、また思想犯などで死刑を免れた者を、自力で帰ってこられない遠い島に送ったのが「島流し」と呼ばれる流刑です。

しかし、流刑は江戸時代に始まったものではありません。

その歴史は古く、『日本書紀』には允恭天皇の時代にすでに見られます。

流刑も法的な処罰だから、国家としての法体系の中で規定されるのはその後のこと。

8世紀初頭に完成した大宝律令に修正を加えた養老律令では、刑罰の規定が次のように定められています。

・正刑

苔(ち)・・・細い棒で打つ刑
杖(じょう)・・・苔より太い棒で打つ刑
徒(ず)・・・拘禁して官の労役に就かせる刑
流(る)・・・配所に送って労役に就かせる刑
死(し)・・・絞、斬による死刑


この5刑のうちの「流」が流刑で、刑罰としては、死刑に次ぐ重刑であったことがわかります。

しかし、ここにあげた刑は一般人を対象とした正刑であり、官吏や僧職に就いていた者の刑は閏刑といって別扱いとされていました。

僧職にあった者は僧籍を剥奪されて流刑にされました。

流刑には常流、加役流の2つがあり、常流は労役が1年、加役流は3年の労役に就かなければならなかったといいます。

古代の流刑

古代の流刑の配所とは、いったいどこを指していたのでしょうか。

流刑には遠流、中流、近流の三等がありました。

遠流は都から1500里(この時代の条里制によれば1里=約650m)、中流は同じく560里、近流は300里となっていました。

この規定でいけば、九州は遠流よりさらに遠方の流刑地ということになりますが、実際九州に配流された人物もいるので、ときの政略によって遠流も次第に拡大していったものと考えられます。

古代九州の主な流刑地をあげると、九州本土のほかに、対馬、硫黄島があります

五島や奄美群島がそれに加わったのは、ずっと後の近世以降のこと。

九州に初めて配流されたのは754年のことで、神官多麻呂が大隅に、大神朝臣杜女が日向に流されたと記録に残っています。

九州の流人の道をたどるには、まず官職や僧籍にあった朝廷に近い身分の人を探るのが早道ですね。

hok.jpg

これは北斎の画です。

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