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万葉集 アーカイブ

昔日を偲んで

遠つ人 松浦佐用比売 夫恋に

領巾振りしより 負へる山の名


山上憶良の作と伝えられるこの歌は、新羅へ出陣する大伴狭手彦を、松浦佐用姫が山上から領巾を振って見送った伝説を歌ったものです。

恋人の大伴狭手彦を思うあまり姫は死んでしまい、その霊を弔って建てられたのが鏡山の入口にある恵日寺です。

狭手彦は伝説的な英雄で、九州の風土記には狭手彦が主人公の物語が数多く残されています。

当時(6世紀中頃)、朝鮮半島にあった日本府任那が新羅に侵されたため、勢力挽回を目的に出陣するときの、狭手彦は派遣軍の大将です。

作者、山上憶良は筑前国司として、赴任先で昔日を偲んで作ったといいます。

万葉集に見られる防人たちの歌と、その時代背景をもとに九州の道をたどってきましたが、古代といえども道を通して政治が行なわれ、そこに庶民の生活があったことは、歴史が克明に物語っています。

朝廷のあった畿内を中心に政治が行なわれていたのにもかかわらず、1200キロも離れている東国と九州がこの防人という一点で結びつけられていたのは、交通網が未発達な時代だけに不思議なことといわざるをえませんね。

防人たちが活躍した時代の九州の道

白村江の戦いののち、新羅に進駐していた唐の使者が来朝してきました。

兵士ではなく使者ですから、来朝の目的は外交にあったはずですが、当時の朝廷の目には不気味に映ったに違いないでしょう。

そのため防人たちが配置された前線基地の役割は、一層大きなものとなっていきました。

ところで、当時の九州は、どのように治められていたのでしょうか。

ここでは大宰府を中心とした当時の交通路をみてみましょう。

5世紀ごろまでの九州は「つくし」という言葉で表現され、その範囲は狭義では九州北部、広義では九州全体をさしたといわれています。

このように古代の日本では、九州でも、狭義の「つくし」である九州北部が重要視されていました。

この狭義の「つくし」には、現在の福岡県ばかりでなく、佐賀県や長崎県の一部も含まれていました。

九州に現在の県制度のもととなった国制が確立されたのは、筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・壱岐・対馬の7国2島が置かれた701年のこと。

このとき九州全体を、中央の畿内に対して西海道としました。

さらに変遷を経て、前記の7国に薩摩、多ねを加え、さらに713年には日向から分離した大隅を加えて9国3島とし、824年に多徽を大隅に編入して、9国2島の九州が確立しました。

延喜式による九州の主要道

当時の九州の道となると、はっきりしたことはわかっていません。

10世紀初頭に成立した「延喜式」によれば、九州の主要道は次のようになっています。


・大路(大宰府道)

朝廷のあった畿内から山陽道を通り、豊前の北辺をよぎって博多湾近くから大宰府に至る道。

・小路

1.田河路
大宰府から豊前国府へ至る道

2.豊後・日向路
大宰府から豊後国府へ、そしてさらに日向国府へ向かう道。東路ともいう。

3.大隅路
大宰府から筑後、肥後、薩摩国府を経て大隅国府へ至る道。西路ともいう。

4.肥前路
肥前国府を経て島原半島に至る道。

5.壱岐・対馬路
筑前、肥前の海岸を経由して、肥前登望(小友)から壱岐、対馬へ渡る道。


歴史的にみても、国の制度が確立するにしたがって、交通路も政治的または軍事的に整備する必要が生じてきます。

それは、時の政治の中心地と地方の中心地、また地方の中心地と付近の各集落とを結ぷ交通路として、網の目のように発達していきます。

とくに課税の対象となる米や地方の産物を集荷し、中央に輸送することや、全国の統治、対外的な軍事的意味あいからも、交通網の整備は重要な国策でした。

古代九州の道と現在の道

古代九州の道と現在の道との比較。

はたして古代の道がそのまま発展し、現在の道になったかという疑問は、誰もが持つものといえます。

前出の「延喜式」によれば、当時の大宰府と各国府を結ぶ道沿いに設けられた駅名(駅とは中央と地方を結ぶ連絡用に設けられたもので諸道に約30里《現在の約16キロ、但し地形・水・牧草の関係で位置は変化する》ごとに置かれた)が、当時の道の位置した場所を偲ばせています。

吉田東伍氏の現在と過去の地名の比較研究によれば、当時西路沿いの駅であった筑紫国葛野(現在の福岡県筑後市羽犬塚)、狩道(同山門郡竹海)、肥後国大水(熊本県玉名郡南関〉、江田(同江田〉は、いずれも現在の国道209号よりずっと内陸部にあることがわかっています。

つまり、当時の主要道の西路は、内陸や山間部を通っていたことになるのです。

この地域に限った話ですが、この西路の位置が、現在の九州自動車道の位置とピタリと重なっているのは、偶然の一致とはとても考えられないほどです。

このように、防人たちの古代の道は山間部や台地、川沿いに沿って発達しているのが特徴で、平野部の道が開発されていったのは、土木・治水技術が発達した後世のことなのです。

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